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奈良県の求人状況

15歳以上就業者のうち、県外就業者の割合は 28.8%で全国2位になっています。1位は埼玉県で 29.4%、3位は千葉県で 27.6%、4位は神奈川県で 25.5%と、20%を超えるのは4県で、いずれも大都市周辺の県となっています。性別でみると、男性約12万人〔3人に1人:県外就業率35.0%〕、女性約5万人〔5人に1人:同19.3%〕が県外で就業している。また、県外就業者の割合を市町村別にみると、生駒市が 53.7%と最も高く、次いで王寺町が 44.3%、三郷町が 43.1%となっています。主要産業の新規求人状況を前年同月比でみると、「建設業」、「製造業」、「運輸業,郵便業」、「卸売業,小売業」、「医療福祉」、「サービス業(他に分類されないもの)」において増加し、「宿泊業,飲食サービス業」で減少してます。

本州のほぼ中央部,近畿地方のやや南部に位置する県。中央部を西流する吉野川を境に,北部は生駒山地,大和高原,竜門山地,宇陀山地および奈良盆地,南部は紀伊山地に属する山岳地域 (吉野山地) である。気候は内陸性気候で寒暑の差が大きい。古代の大和国で,古くから文化が開け,飛鳥 (あすか) は政治の中心地となった。持統8 (694) 年,日本初の都城藤原京が現橿原市内に建設され,元明天皇まで3代の都であった。和銅3 (710) 年,元明天皇が現奈良市を中心とする地に平城京を建設して遷都,延暦3 (784) 年の長岡京遷都まで都がおかれた。近世は郡山藩など8藩と天領,寺社領に分割統治されていたが,明治4 (1871) 年の廃藩置県により,統合し奈良県となった。県域の約 80%が林野で,農地は奈良盆地に集中している。米作のほかカキ,ウメなどの果樹,イチゴなどの野菜,花卉が栽培される。吉野山地ではスギ,ヒノキ,マツ,モミなどの森林資源に恵まれ林業が盛ん。また奈良市の墨,筆,御所 (ごせ) 市や高取町の大和売薬,桜井市の三輪そうめん,大和郡山市の金魚などは伝統産業として有名。奈良市を中心に多くの神社,仏閣,史跡,古墳があり,観光資源に富む。阪神工業地帯の延長として工業化,宅地化が著しい。

奈良県は観光産業が発達しており、各地の神社仏閣や遺跡、万葉の故地などが観光客を集めている。東大寺二月堂修二会(お水取り)や春日若宮おん祭などの伝統行事や若草山の山焼き、また正倉院展・なら燈花会などの新しいイベントなどが多くの観光客に親しまれている。奈良県への年間観光客数は約4000万人。一方で宿泊施設は少なくホテルの軒数は2006年度において全国都道府県別で46位、客室数は47位(最下位)であった[14]。そのためホテルの多い京都や大阪に宿泊者の多くを奪われている状況である。奈良県ではホテル誘致を推進している。

奈良漬けは、元々西暦700年代から存在
柿の葉寿司は、奈良県や和歌山県伊都地方の名物
三輪素麺の桜井市三輪地方はそうめん発祥の地とも言われる
飛鳥鍋は、1300年以上も受け継がれる家庭料理
わらび餅の原料であるわらび粉の名産地

江戸時代中頃から観光の町としての性格を強めるようになりましたが、明治維新を迎えたころの奈良は、いささか沈滞した町のふんいきになっていました。廃仏毀釈により、諸大寺も大きな打撃を受けました。1871年(明治4年)の廃藩置県で大和全体を管轄する奈良県が生まれ、奈良に県庁が置かれました。しかし、1876年(明治9年)奈良県が廃止されて、大和は堺県に続いて大阪府に属することになります。県庁所在地として立ち直るきっかけをつかんだ奈良にとって、これは大きな痛手となりました。 1887年(明治20年)奈良県の再設置が認められて県庁が戻ってきたことが、奈良に新しい息吹を与えることになりました。2年後、市町村制が定められた折には、人口不足のため市になることができませんでしたが、1898年(明治31年)待望の市制が施行されました。この前後に大阪、京都へ鉄道が通じ、会社や銀行ができ、奈良公園の整備が進むなど、奈良もようやく県政の中心地としての面目を備えはじめていました。

雇用形態の説明

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